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Marcus D

Story with Nujabes and Hydeout artists, and about Lo-fi scene
(日本語/Japanese Translation)

July 28,2021

若くしてRoyce Da 5’9″”をプロデュースし、後にはSubstantialやShing02を始め多くの名MCをフィーチャーしたアルバムを制作してきたMarcus D氏。又、現在日本に在住し、Lo-fiミュージックシーンへの貢献も大きい彼に、これまでの音楽的変遷やLo-fiシーンへの意見などをうかがった。

Mental Position – まず月並みですが、音楽的背景についておうかがいします。子どもの頃からピアノを続けていたということをどこかの記事で読みましたが、現在のようなビート主体の音楽を作る以前は、どんな音楽を聴いていましたか?ビートメイキング自体は何歳頃からスタートしたのでしょうか?

Marcus D – ピアノは小さな頃から弾いていて、初めはクラシックばかりでしたけど、中学生になるとジャズも弾いていました。それでジャズバンドでプレイするようになり、15か16歳の頃にはビートを作り始めたという感じですね。

MP – 今やスターMCとなったRoyce Da 5’9″をかなり若い段階でプロデュースされています。その後リリースされているアルバムでは、Royce Da 5’9″以外にも、ToraeやPlanet Asia、Saigon、Skyzoo、Del The Funky Homosapianなど、通好みのHip Hopアーティストをフィーチャリングしているあたり、やはり、音楽のバックグラウンドとしてHip Hopの影響が大きいということなのでしょうか?

MD – 小学生だった時に、兄がミックステープを作ってくれて、RoyceやBusta Rhymes、Fabolous、DJ Clue?、DMX、Scarface、Jay-Z、Nas、それから、あまり知られていないようなアンダーグラウンドなラッパーの曲がミックスされていたんですよ。今思うと、そんな曲を聞くには、ちょっと小さすぎたと思いますが…(笑)でも、小さな頃からそういう音楽に触れられたのは、運命だったのかもしれませんね。その時に聞いていた音楽は、今の音楽制作にかなり影響していますから。

MP – Revival of the Fittestでは既にSubstantialと仕事をしていますが、後に大きくつながりを持つ、Hydeout関連のアーティストと関わるきっかけとなった彼とは、どのように知り合ったのでしょうか?

MD – 最初の出会いはMyspaceです。彼と知り合う前からファンだったので、こちらからコンタクトしたんですが、快く返事をくれたので、すぐにビートを送り、そこから話が広がった感じですね。その後、Hydeout関連のアーティスト達とは、別々の時期に一人一人つながっていきまいした。実際に会うことになったのは、2010年に東京で開催された1回目の「Eternal Soul Tribute」の時ですね。
Shing02とは、その年の夏にシアトルで”Parallel Universe”というトラックを共作したこともあって、トリュビュートイベントでDJをやらないかと招待してくれました。シアトルでのセッションの最中、彼がLuv(sic) Part 4、5、6のインストルゥメンタルをかけてくれた時には、興奮を抑えるのに必死でしたね。

MP – 他のサイトで18歳の時にBop Alloyを結成したと書かれていましたが、Substantialのファーストアルバムがリリースされたのは2001年なので、Marcusさんは当時小学生くらいだったのではないでしょうか?その頃、SubstantialやNujabesの作品は耳にしていましたか?(ちなみに誰も知らない話ですが、Substantialのファーストアルバムの曲順は僕がアドバイスを求められて、実際その曲順でリリースされたんです、笑)

MD – “To This Union〜”はクラッシクアルバムですよね。実はアルバムに貢献されていたとのこと、僕からも感謝します。
SubstantialとNujabesの曲を聴くようになったのは、そのアルバムがリリースされた2〜3年後です。僕が中学生の時の夏休みに、友人の従兄弟がカリフォルニアからワシントンに遊びに来て、こういう曲があると教えてもらったんです。

MP – アルバムを通して聞いてみると、初期のアルバムからAnother Day in the Life Of…あたりまでは、割とラッパーをフィチャーしていたり、トラックもどちらかというとHip Hopよりでしたが、The Lone WolfからMelancholy Prequelくらいまでは皆が知るNujabes~Hydeout的サウンドになり、Ryujin No Yumeからは、いわゆる現在のLo-fi Hip Hop的な質感のトラックに変わっている印象でした。その間の音楽的な影響や、自身の制作スタイルには、どういった変化がありましたか?

MD – 僕の作るサウンドは、その時々に聴いている音楽をベースに変化、発展しています。2010年以降、日本で多くの時間を過ごすようになってからは、自分のサウンドスタイルは、アルバム”Melancholy Hopeful”(とPrequel)の感じでした。そして、上智大学に通うために東京に移り住み、大学寮の小さな部屋で”The Lone Wolf LP”を完成させました。他のアーティスト達も、大抵は自分の環境にインスパイアされていると思いますが、東京に住み始めた頃は、孤独感と疎外感が強かったんです。実際、世界で最も人口密度が高い街に住んでみて、すごく驚きましたし、今でもそんな風に感じることがあります。

“Ryujin no Yume”は、lo-fiミュージックにある「表現の自由」を活かして、SP-404を使い単純に楽しんで作りました。自分は音楽制作やリリースについて、毎回かなり突き詰めてしまうのですが、”Ryujin no Yume”では「パーフェクトに作らなくてもOK」という気持ちで、ディテールは気にせず作りました。だから、”Ryujin〜”は、ノリ重視でできたアルバムという感じですね。

MP – Substantialと曲作りをするようになった時には、まだNujabesは存命でしたが、生前、彼と実際に会ったことはありますか?「誰々っぽい」と言われるのは、あまり嬉しくは無いかもしれませんが、先の質問のように、Melancholy~などのサウンドは、Nujabesの影響も感じられるように思います。

MD – 彼とは確か2007〜2008年頃にMyspaceでコンタクトを取っていました。彼からフレンドリクエストを送ってくれて、僕のブログもチェックしてくれていましたが、生前に会うことはできませんでした。Guiness Recordsには、僕とSubstantialが作った”Day in the Life”の7インチシングルを並べてくれていましたし、僕自身のことはよくわかってくれていたはずです。

トリビュートイベント後の一年くらいは音楽的にハイな状態になっていて、”Melancholy Hopeful”のほとんどのトラックを作りましたね。あのイベントや彼が逝去したことは、彼の死や(死後にリリースされた)Spritual State、そして、人々が「Lo-fi」や「Chillhop」のようなものに目を向けるまでの瞬間を結晶化した「何か」を、僕にもたらしたのだと思います。あの頃は、自分の人生がかなり形作られた時期でした。

MP – トラック制作にはどのような機材を使用していますか?Instagramの写真を見る限り、レコードからのサンプリングやDAW、MPCやアナログシンセも使用しているようですが。

MD – Fruity Loops、ヴァイナル、MPC2500、それから、色々なアナログシンセを使っています。”Ryujin no Yume”では例外的にSP-404SXを使い、リサンプルオンリーで曲を作りましたね。かなり拙い手法で、実用的なやり方でもなかったですが、生の雰囲気にしたかったことと、細かいことに煩わされたくないという気持ちがありました。

MP – アルバムとは別に「OMEGA MUSIC LIBRARY」というタイトルで、ビートメーカー/プロデューサー向けのサンプリングネタ的なシリーズをリリースしていますが、BeatStarsのようなプラットフォームでリリースせず、敢えて「Library」としてシリーズ化しているのは、一つのアルバム的作品としてリリースするという意図もあるのでしょうか。

MD – より多くの人に見つけてもらいたいと思ってデジタル配信しているつもりですが、今後もomegamusiclibrary.comだけで配信するかは、今のところ考えていません。SpotifyやApple Musicで配信しないのかとよく聞かれますが、Omega Music Libraryで考えていることとはちょっと違うかなとも思っています。

MP – 音楽制作の他に、日本でのChillhop Musicのマネージャーとして仕事をするなど、Lo-fiミュージックシーンにも貢献されていますが、このシーンとは、どのような流れで関わるようになったのでしょうか?

MD – Chillhopのクリエイター達が、NujabesやSubstantial、僕のファンで、2010年代の”Jazzy Hip Hop”シーンを支えていました。それで、お互いに何年か連絡を取り続けていましたが、日本にChillhopの音楽やアーティストを紹介するいい機会だと思い、彼らと一緒に仕事をすることになりました。

MP – この1~2年のコロナ禍によって、インターネット需要が増え、Chillhopを始めとするオンライン中心のメディアやレーベルがより注目され、一層オンラインで曲が聴かれるようになったと思いますが、コロナによって音楽活動に何か変化はありましたか?

MD – パンデミックが起こって、全ての面で生活が変わりましたね。ミュージシャン達は皆、色々なやり方で、なんとか頑張っています。僕が最後にDJをやったのは、確か2020年2月のNujabesトリビュート10周年だったと思いますが、その頃は、ほとんどの人がウイルスのことなど心配していませんでした…。でも、PaseやJon、そして僕も、ビニール製の手袋とN-95のマスクを着用し、DJブースでは消毒をしてプレイしていたんです。

その後は、イベントに出演するどころか、友達や家族ともまともに会えていません。2月初旬には自粛生活が始まりましたが、1月にはパンデミックになることを恐れて「実家には帰れなくなるかもしれない」と母親に伝えました。そして、ある日、居酒屋でニュースを見ていたら、ダイアモンド・クルーズ号のニュースが流れてきました。周知の通り、日本政府の対応は何週間も遅れました…。その後は、多くのことが停滞期に突入してしまいます。東京オリンピック開催の意思決定も日本社会の復旧を遅らせただけでしたし、多くの人達を危険に晒す結果となりました。この状態はまだ続くと思いますが、1日でも早く以前の日常に戻ってほしいですね。

MP – 当サイトは、Chillhopで配信されているような、いわゆる「Lo-fi」ミュージックから、Lo-fiの源流とも言える、Boombap~90’s Hip Hopのような音楽も含めて「Lo-fi」と括っていますが、この数年で大きなカテゴリーとなったLo-fiという音楽やムーブメントについて、どのように思いますか?

MD – 自分自身は、”Lo-fi”ムーブメントにおける熱心なリスナーという感じでは無いと思います(笑)。Lo-fiムーブメントは、NujabesやDillaに割と遅い段階で注目しはじめたプロデューサーの世代ですよね。僕はSoundCloudにもいませんし、皆がLo-fiムーブメントに乗りだす前のコンセプトやベストなタイミングを見逃していたのだと思います。ただ、過去にRedbullのBig Tuneのようなビートバトルにも出場していたり、その時期には、Jazzy Hip Hopに傾倒しながら、Dibia$eやFlying LotusといったアーティストがLow End Theoryで活躍しているのも見ていました。現在YouTubeチャンネルやSpotifyのプレイリストに浸透している”Lo-fi”や”Chillhop”などのサブジャンルは、そうした音楽が開拓してきましたしね。ただ、シーンに「パイオニア」と言えるようなアーティストがそれほどいないのは残念ですが。

MP – 私がこのサイトを始めようと思ったきっかけは、実は「Lo-fi」や「Lo-fi Hip Hop」というキーワード、そして、Lo-fi Hip HopのゴッドファーザーがNujabesやJ Dillaと言われていることに違和感を感じたからです。理由は、Hip Hopというものは、機材の制約からそもそもLo-fiな音楽でしたし、生前のNujabesやJ Dillaの音楽は、現在広く知られているLo-fi Hip Hopとはやや異なるからです。もちろん、現在のLo-fiミュージックへの影響がどのようなものかは理解した上での意見ですが、その辺り、一番近いシーンで音楽を作ってきたMarcusさんはどのように感じますか?(このトピックは以前のFK氏とのインタビューでも話しています)

MD – やや間違ったタイトルの付け方だとは思います。NujabesやDillaの音楽は、現在私たちが知っている”Lo-fi”ではありませんでしたし、ジャンルを定義する順序からしても、派生して生まれたジャンルが、そのオリジナルのジャンルに適用されるということはありえないですしね。

それらの音楽を同じカテゴリーにまとめるのは間違っていますし、思い違いなのかなと思います。誰もが音楽にラベル付けしてプレイリストのような枠に収められるよう、ニッチなサブジャンルに細分化する必要があると思うのは理解できるのですけど…、正直、”Lo-fi”というのは、単なるHip Hopだと思いますよ。それを「Jazz-influenced Hip Hop」と呼んだとしても、それは余計だと思います。

MP – 日本にはいつから住まわれていますか?又、日本に住むことになったきかっけはなんだったのでしょうか?リリースされているRetro’dシリーズでは、日本のゲーム音楽などからもサンプリングされていますが、ゲームをはじめとするジャパニーズカルチャーからの影響もあるのでしょうか。

MD – 東京とシアトルは、ここ10年くらい行ったり来たりしていましたが、ここ5年以上はずっと日本で生活しています。

日本のビデオゲーム音楽からは、かなり音楽的影響を受けました。ピアノで一番初めに弾いた曲は、Final Fantasy IVの”The Prelude”でしたし、(FFシリーズの作曲家)植松伸夫氏とは何度かお会いしています。彼からの音楽的影響は計り知れないほどなので、今、音楽を生業にできているのは彼とNujabesのおかげですね。彼とはいつか一緒に音楽を作りたいです。

MP – 直近ではPismo氏とのBar Toughがリリースされていますが、現在、なにかリリース予定の曲は制作されていますか?又、今後、フィーチャーしたいアーティストや、一緒に曲制作してみたいビートメーカーがいれば教えてくさい。

MD – そうそう、Pismoとは新しいアルバム”Bar Tough”をリリースしたばかりです。制作に5年ほどかけてようやくリリースできたので、是非、沢山の人に聞いてもらいたいです。これは最近一番気に入っているプロジェクトの一つで、今秋にはTribe/Hydeoutから、かなりいい感じにプレスされたヴァイナルでリリースする予定ですよ。曲自体は既にデジタル配信されているので、チェックしてみてください。

今後、MCでフィーチャーしたいのは、Mos Def、Kendrick Lamar、Freddie Gibbs、それから、J.Coleがリストのトップにいる感じですね。プロデューサーならば、Alchemist、Just Blaze、Premier、そして、Jake Oneです。

MP – 最後に、Marcus Dファンの方、又、Lo-fiミュージックファンにメッセージをお願いします。

MD – 僕の音楽を聴いてくれている方々、そして、いつもサポートしてくれている方々、ありがとうございます。一人の人間としてコメントを残しておくならば…、もし自分が死んだら、僕や僕の音楽が生んだ利益を、僕の家族にシェアすることなく、誰かに横取りされないようにしてほしい!皆さんに感謝しています!

PROFILE

若くして多くの名Hip Hopアーティストやミュージシャンと共演し、数多くの作品をリリース。現在は拠点を東京に移し、音楽制作に取り組み続けると共に、Lo-fiシーンにも寄与する。又、自身のレーベルとして"Omega Music Library"を運営。厳選されたオリジナルのサンプルパックを提供している。